わからない。と、ごめんなさい。
私たち現代人にはむずかしい?コトバに、
わからない。
と、
ごめんなさい。
(あと、愛しています。もかな)
があるなあ、と思います。
私も、とーっても、とーーってもニガテでした、このコトバ。
ニガテっていうかね。
重みと、なんか価値がある感じ。含みがある。
だって、、わからないといけないでしょ?わかるために生きるでしょ。
みんなそう言うし。責任あるし、わかるために頑張ってるし、期待されてるから裏切れない。
だって、、謝っても取り返しがつかないほどのことしてしまった。
あなたがこんなに怒ってる。悲しんでいる。
そんなふうに、深いところで思い込んでいたので、、、
環境を、
厳しく、こちらから理解せねばならぬ場
相手を、
大切にできないといけない、迷惑をかけてはいけない人
そう、決めていました。
本当に、たくさん期待されて、それにこたえながら、私たちは育つのです。
どんなふうだったらいいか。どんなふうだったら、絶対にだめか。
過去にかけられた期待、または期待がないことへのレスポンスの、成功例と失敗例によって、基準を作っていて。
そういった、
「だってこうじゃないと、だめでしょー」という、いっそ自然なくらい染み付いた基準がどうにも立ち行かなくなるとき、初めて私たちは、自分の権利を環境に譲っていたことを知るのかもしれません。
私はけっこう、そうでした笑 基準がものすごく、あったので(^^; ちょー、ぶつかる。
そんなとき、、、頑張って、その基準をクリア&レベル上げできるように「スキルアップ」することが多いかと思います。
でももしかしたら。
「その基準じたい、ホント?」
と思ってみるのも、いいかもしれませんね。
絶対にこうじゃなきゃ。って、「強く」思っている基準は、案外見つけやすいものです。
そういった見つけやすいものの底には、
地面のような、「当たり前基準」があって。
それ、ほんとかな?って思うとき。
今まで、この場面では言えない!ってシーンでも、「わからない」と、「ごめんなさい」が、
するするっと出てくるようになるかもしれません。
そうすると、わかりやすく、とっても楽になります。
現実にはしばらくの間、風当たりがとても強く感じられたりするかもしれませんから、手放しに「楽だよ!やってやってー」とは言いませんけれども、、、
そうしたい方をサポートしたいと、レッスンではいつも思っています。
当たり前基準の地面の上は、とっても安心できることです。
でも。。。
その当たり前基準の底には、とってもシンプルな、可能性があるかもしれないよーと、思うのです。
安定のない安定。。。
なんともいえないけれど、だってそうだもの。って、「じぶんに」はもちろん、「いつだって」「必要なときに」「誰にでも手渡せる」フリーなあなたというエネルギーが交わされたら、すてきだなとTocoは思います。