しっとり。
落ち着くことは、終着点ではありませんし、
心地よさも、そう。
楽しさも。
悲しさも。。
でもどこかに、居なければ、
この表現自体に、《投げ出される》ような気持ちが始めはして。
溢れるなにかをひとつずつ、観よう、掴もうとして。確信を得ようとして。
感動が次の波を呼び、
成果が次のダイブを、わからせてくれるような気にもなって。
確かな気がして。。。
自分に、感じていいと許すと、たくさんの表現が突入してくるかもしれません。
時に、人生では、
否が応でも突入してくる表現があります。
誰かをうしなうこと、なにかをうしなうこと、痛み、悲しみ、それらは、
誰かを得ること、なにかを得ること、
悦び、喜び、と
まったくセットで、、、
それらは、予期して準備していたり、予想外であったり、でもあまり変わりないかもしれません。
身体にある、ことは
それらを眺めることへ向かいます。
様々な表現で私たちは永遠を体験します。
終わりと始まりが
永遠だと気づくと
今が、ただ今をあることが
あらわれるかもしれません。