なんとなく。
寒い日がつづいていますねー。
なんかほんとうに寒いぞ、と思っていたら、
また松岡修造氏が海外にお出かけ中だったそうで、
それでかーと思ったり、思わなかったり。
体調管理、という漢字は、管理、のあたりがちょっと固い気がするのですが、
身体を整えておくことは、とても大事だなあと最近実感しています。
昔は、とてもがんがん「使って」いました。体。
深夜まで働いて、ごはんも食べたか食べてないのか、
いつも考え事、なので、頭はずっと「もんや〜、ずーーーん」としておりました。
エネルギーが整うにつれて、体を「使う」という感覚自体が減ってゆき、いつしか冷え性もなおり、頭痛も肩こりも、気分のもやもやも治まりました。
この、エネルギーが整う、というところ。。。
意識的じゃなかったのです。
なんせ、「忙しいぞ、考えることはたくさんある、これがわたしの存在の証明だぞ」
という感覚でしたので、
たぶん、体が「ちょっとーもうかんべんよ」と言って、ヒーリングに連れ出してくれたり、調整のチャンスに出かけさせてくれてたんだなあと思います。
ありがとう、体。
ずっと呼んでいてくれて。
と、思います。
あたまで、はっきりと「これが必要だ」と気づくことが、体の声と同時に起こる人は、少ないです。
だから、「なんとなく」はとてもいいチャンスです◯
(じぶんが「なんとなく人間」なので特にそう思うのかも)
あたまは、「なんとなく」なんていやですから、
なんとなくやってみたことの、確かな効果を全力で探したい。
そうすると、体がお水を飲むように変化を吸収しても、気づけないことがあって。
その不安が、体にまた同じ負担をかけたり。ぐるぐるし始めます。
なので、「なんとなく」のことを、信頼してほしいな、と思います。
体の声は、ことばにするには、小川のせせらぎのようにかすかです。
言語化できないけれど、それは確かにことばです。
痛みや、固さになって現れているところに意識は向きますが、その根っこは、
小さな声でずっと呼んでいます。
セルフィーリングピラティスは、わたしがいいな、と思うところのひとつは
そのことばが、動きになるところ。
あたまが、「うごけ、こういうかたちで」という動かし方を手放し、
からだがことばとして動くことが起こります。
そして、あたまは、そこにちゃんとあって。
どちらも、言い合いせずにそこにあって、意識はその真ん中の「なにもなさ」にいられる感じがするのです。
そうすると、いろんな感覚に気づくことが起こり始めます。
からだの声が聞こえて、それがすんなり「そうだね」と思えるように。
だから。。。「なんとなく」あれ?と思ったら、別に理由もなくても
ちょっと行ってみたり、言ってみたり。
そして、レッスンにもきてみてくださいね。
あまり探さず、ただ安心して、楽しめば大丈夫なのです。
どかーん崩してしまうのは、大変です。
なので、できたら、その前に。体が呼んでいますよー。
(そして、なんとなく、の手前もあるのですが。。。それはまた書きますねー)
エネルギー(?)の話でした。